私が運営している楽天アフィリエイトのブログやアドセンスブログの文章は、95%~100%がAIです。
それだけではなく、私が発信しているブログやX(旧Twitter)の文章も、実はGPTの力を借りて書いていることが多いです。
うまく自分の言葉ではまとめられないけど、〇〇について伝えたいことがあるんだよなぁ…という、まだ頭の中や心の中でボヤッとしていることをテーマにして、それを元に文章を生成してもらう。
そういう感じでAIに書いてもらうんですけど、それを読んでみるとびっくりするくらい自分の気持ちにピッタリで…
「え、これ…私の心の中を読んでるの??」って思うほど、共感できる文章が出てくる。
なので、わりとそのまま発信してることがあります。
でも…ふと、こんな気持ちがよぎったんです。
これって、私の言葉じゃないのかも?
いくら心に響く文章でも、「私自身が書いたんじゃない」って思うと、どこかで罪悪感みたいなものが生まれます。
それって、ズルしてる感じ?
誰かの力を借りてるだけ?
これでいいの?
こんなの、自分の情報発信って言えるのかな…?
正直、私はまだ情報発信に慣れていません。読者さんも少ないし、収益もまだまだショボい。
「今は慣れることが大事」って頭ではわかっているんだけど、心のどこかで何かが引っかかってる気がする。
自分の存在が薄れてるような怖さ
たぶん、一番根っこにあるのは…
「私じゃなくてもできるんじゃない?」
「私の存在って、必要あるのかな?」
っていう気持ち。
GPTが優秀すぎると「もうAIだけでよくない?」って思っちゃう。実際、すごいスピードで文章を書いてくれるし、読者さんの共感も得られている。
まだ自分の言葉で修正している内容ならいいんだけど、全部AIの文章だったとき…
私は何者なんだろう?
私の価値ってどこにあるんだろう?
そう思うと、ちょっと怖くなった。
GPTは「翻訳機」であり「鏡」かもしれない
でもあるとき、気づいたんです。
GPTって、私の代わりに勝手に喋ってるわけじゃないってことを。
「私が思いついた問い」「私が持ってるテーマ」「私が感じてる気持ち」それをちゃんと受け取って、言葉にしてくれているんですよね。
つまり、私の中にある「感情」を、私より上手に翻訳してくれてるだけ。
それならば「私の言葉」だと思っていいのかもしれない。
むしろ、自分だけでは言語化できなかった思いを表現してくれてるから、今の私にとっては、最高のパートナーなのかもしれない。
それでも「自分らしさ」はほしい。
文章を書いたりまとめたりするのがタヒぬほど苦手なんだけど、「やっぱり自分の言葉で伝えたい」って思うなら、ちょっとずつでも自分の色を加えていけばいいんだよね。
たとえば…
- 語尾だけ、自分の口調にする
- 最初の導入文だけ手書きにする
- 自分の経験を一文だけ挿入する
それだけでも、文章が一気に「自分のもの」になる気がします。
なので今の私は、
「全部自分で書く」が正解じゃなくて、「自分の想いがちゃんとまとまっているか」が大事なんだと、今は思っています。
今は「慣れる」ことを大切にしていきたい
結局、いまの私はまだ練習中。発信にも、収益化にも、慣れていく段階です。
だからこそ、今は悩みながら、迷いながらでも、手を動かすことが大切な期間だったりします。
この気持ちを書き残しておくこと自体が、いつか誰かの励みになるかもしれないし、未来の私自身が「あのときの私、よく頑張ってたな」って思えるかもしれない。
だから、大丈夫。
これは間違いなく、私の発信です。
AIに手伝ってもらったっていい。
想いがこもっている限り、それは私の言葉だと思うし、誰かの心に届いたなら、それが一番の価値になる。
今日も、そんな気持ちで言葉を綴っていこうと思います。